トラックの改良


エンジンはシボレーと同じ直列6気筒だったが、
将来的には、このシリンダー.ブロックを使用して
ディーゼル化する計画があって頑丈につくられたサイドバルブ方式だった。

量産可能な生産設備を整え、アメリカで設計したトラックを日本で生産することが
可能になり、日産はトヨタとともに自動車製造事業法に乗っとった
許可会社に指定された。

日産のダットサンは太平洋戦争が始まる前年の194D年には生産はほとんどされなくなり
その後はプレス型などの設備も貴重な金属として供出されて
大砲の弾などに変身してしまった。