カーブド・ダッシュ


このカーブド・ダッシュは、宣伝の歌までつくられてヒットし、
多くの追随者がこの種のシンプルで生産コストを抑えた車両を開発した。

しかし、好調な売れ行きにもかかわらず、
1904年にオールズは出資者のスミスと将来に対する意見が分かれて退社している。

新しい後援者を得て・オールズは自分の名前の頭文字を採ったREO社を設立し、
自動車をつくり出すがなかなかベストセラーを出すに至らなかった。

後にゼネラルモータースに買収されるのは、オールズの去ったオールズ社のほうである。ここは最初の量産工場として生産の合理化がすすめられたから場合によっては
アメリカで最初にアメリカで最初に量産大衆車を成功させる可能性があった。