日産創世記の動きについてみていこう。
シボレーと同じクラスのエンジンを搭載したトラックを設計したところで、
グラハムページ社は倒産していた。
情報をつかんだ鮎川は、その権利を購入してアメリカで試作車を製作し、
それをもとに日本でつくることにしたのだ。
グラハムページ社は、中堅よりわずかに小規模な自動車メーカーで、
乗用車中心のアメリカで比較的小さいトラックというニッチな部門で
生き残りを図ろうしていた。
月間数千台規模の生産設備で、日産が購入する設備としては適当な規模で、
倒産して価値のなくなったものだったから、
スクラップに近い価格で日産のものになった。