中古のトラック
グラハムページのトラックのシャシーを使用して70型乗用車や90型バスなども
つくられたが、トヨタ同様に軍用トラックが生産が日産の中心だった。
トヨタが中国、日産が満州とそれぞれ使用される地域を分けられた。
日産のセミキャブオーバートラックは、
満州の泥のなかで悪戦苦闘しなくてはならなかった。
トヨタ同様にトラブルが出たが、それ以上に問題だったのは、
他の車両よリトレッドが大きいので轍からはずれて泥に足を取られて
ストップしてしまうことであった。
それから時代は進み、トラックは改良され、
中古のトラックでも十分な性能を持てるようになる。
リース可能な車両も登場し、便利になった。
リースと言っても、サービス一覧を見ればわかるが、
種類は数多い。
カーブド・ダッシュ
このカーブド・ダッシュは、宣伝の歌までつくられてヒットし、
多くの追随者がこの種のシンプルで生産コストを抑えた車両を開発した。
しかし、好調な売れ行きにもかかわらず、
1904年にオールズは出資者のスミスと将来に対する意見が分かれて退社している。
新しい後援者を得て・オールズは自分の名前の頭文字を採ったREO社を設立し、
自動車をつくり出すがなかなかベストセラーを出すに至らなかった。
後にゼネラルモータースに買収されるのは、オールズの去ったオールズ社のほうである。ここは最初の量産工場として生産の合理化がすすめられたから場合によっては
アメリカで最初にアメリカで最初に量産大衆車を成功させる可能性があった。
当時のベストセラー
単気筒1563㏄エンジンの2シーターでシンプルな機構のものである。
当時の自動車は平均1㎜ドルほどだったが、
650ドルという価格の安さも手伝って人気となった。
1901年には600台、翌02年には2500台、03年には4000台、04年には5000台生産された。
当時のベストセラーカーである。
つくればつくるだけ売れそうな状況で、生産の合理化が進められた。
19世紀から進められていたティラーシステムを部分的に採用して、
作業員の仕事を細かく分類して時間をかけずにつくるように考慮され、
生産体制が改良されていった。