輸入車


輸入車はもはや、"特別"なものではない。
ごく普通の庶民が「どうせならいいものを」と考えた時、
視野に入れる当然の選択肢なのだ。

だとすれば、今、それとのつきあい方を考えておくことは、
我々が賢い消費者となるためにも有益なことではないかと思う。

なぜって、外国で作られ、その文化を色濃く反映する輸入車は、
これから日本入がいやでも直面しなければならない国際化の先兵なのだから。
そんなわけで、これからもっともっと身近になる"外国"とのつき合い方の
ヒントのひとつとしても活用されるといいな、と、
僕はちょっと大それたことを考えてもいる。

中古のトラック


グラハムページのトラックのシャシーを使用して70型乗用車や90型バスなども
つくられたが、トヨタ同様に軍用トラックが生産が日産の中心だった。

トヨタが中国、日産が満州とそれぞれ使用される地域を分けられた。
日産のセミキャブオーバートラックは、
満州の泥のなかで悪戦苦闘しなくてはならなかった。

トヨタ同様にトラブルが出たが、それ以上に問題だったのは、
他の車両よリトレッドが大きいので轍からはずれて泥に足を取られて
ストップしてしまうことであった。

それから時代は進み、トラックは改良され、
中古のトラックでも十分な性能を持てるようになる。
リース可能な車両も登場し、便利になった。
リースと言っても、サービス一覧を見ればわかるが、
種類は数多い。

トラックの改良


エンジンはシボレーと同じ直列6気筒だったが、
将来的には、このシリンダー.ブロックを使用して
ディーゼル化する計画があって頑丈につくられたサイドバルブ方式だった。

量産可能な生産設備を整え、アメリカで設計したトラックを日本で生産することが
可能になり、日産はトヨタとともに自動車製造事業法に乗っとった
許可会社に指定された。

日産のダットサンは太平洋戦争が始まる前年の194D年には生産はほとんどされなくなり
その後はプレス型などの設備も貴重な金属として供出されて
大砲の弾などに変身してしまった。

 

寡占化の進行


皮肉なことにアメリカの自動車メーカーの寡占化の進行が
日本に貢献することになったわけだが、日本では、
アメリカのメーカーの生産設備を丸ごと購入して据え付けるという
日産のスケールの大きい行動は、驚きをもって迎えられた。

このときにつくられることになったトラックは、
アメリカ都市間を走ることを想定して企画されたセミキャブオーバータイプだった。

荷台スペースを多くすることができる合理的な設計なのだが、このトラックは、
舗装路を走ることを前提にして設計されていて、
未舗装路の走行は不得手だったから、これが後に日産に不利に作用することになる。

創世記の動き


日産創世記の動きについてみていこう。
シボレーと同じクラスのエンジンを搭載したトラックを設計したところで、
グラハムページ社は倒産していた。

情報をつかんだ鮎川は、その権利を購入してアメリカで試作車を製作し、
それをもとに日本でつくることにしたのだ。

グラハムページ社は、中堅よりわずかに小規模な自動車メーカーで、
乗用車中心のアメリカで比較的小さいトラックというニッチな部門
生き残りを図ろうしていた。

月間数千台規模の生産設備で、日産が購入する設備としては適当な規模で、
倒産して価値のなくなったものだったから、
スクラップに近い価格で日産のものになった。

カーブド・ダッシュ


このカーブド・ダッシュは、宣伝の歌までつくられてヒットし、
多くの追随者がこの種のシンプルで生産コストを抑えた車両を開発した。

しかし、好調な売れ行きにもかかわらず、
1904年にオールズは出資者のスミスと将来に対する意見が分かれて退社している。

新しい後援者を得て・オールズは自分の名前の頭文字を採ったREO社を設立し、
自動車をつくり出すがなかなかベストセラーを出すに至らなかった。

後にゼネラルモータースに買収されるのは、オールズの去ったオールズ社のほうである。ここは最初の量産工場として生産の合理化がすすめられたから場合によっては
アメリカで最初にアメリカで最初に量産大衆車を成功させる可能性があった。

当時のベストセラー


単気筒1563㏄エンジンの2シーターでシンプルな機構のものである。
当時の自動車は平均1㎜ドルほどだったが、
650ドルという価格の安さも手伝って人気となった。
1901年には600台、翌02年には2500台、03年には4000台、04年には5000台生産された。
当時のベストセラーカーである。
つくればつくるだけ売れそうな状況で、生産の合理化が進められた。
19世紀から進められていたティラーシステムを部分的に採用して、
作業員の仕事を細かく分類して時間をかけずにつくるように考慮され、
生産体制が改良されていった。